【プロフィール】20代、“ゲス”と呼ばれた黒歴史

はじめまして!当ブログの運営者・タケコと申します^^
ここまでお越しいただき、ありがとうございます!

タケコのことをより深く知っていただき、少しでも共感してもらったり、好きになってもらえたら幸いです。

新社会人、TV番組制作会社で戴いたあだ名は【ゲス】

「ゲス、次のアポ取りお願い!」
「おいゲス、ロケ日どうなった?」
「げっすん、編集室の予約頼むわ」 (←ちょっとアレンジしちゃってる)

TV番組制作会社に新卒入社したタケコのあだ名はゲス
一部同僚・先輩だけでなく、社内外の関係者からリアルにこのように呼ばれていました。

今考えると完全にセクハラレベルww
しかし当時、私はコンプライアンス室に駆け込むこともなく、むしろオイシイと心地よくすら感じていました。

このプロフィールでは、その理由を紐解いていきます。。。

ゲスと呼ばれた所以

そもそも何がゲスか?

もとはと言えば下ネタで男の人とも十分に渡り合い、むしろ予想のナナメ上をいく返しのゲスさから付いたあだ名でした。

それだけではなく、当時の私は本当にゲスかった。
「セカンドガールこそ一番旨味のあるポジション」と公言し、実際にその立場を選んでは、ふしだらで奔放な生活に明け暮れていました

いつからこうなってしまったのか?
社会人として、ゲスと呼ばれて生きるようになって数年経ち、その答えは自分の出自にも関係があるのでは…と思うようになります。

ゲスの理由は出自にあり

タケコは岡山県・山奥の冴えない農村で生まれました。
かなりの田舎ですが、”田舎暮らし”と聞いてイメージするようなロハスで移住したくなる田舎ではなく、本当に中途半端な田舎。

物心ついた時から父親はいませんでした。
未だに一度も会ったこともなければ、話したこともありません。
どこにいるか、生きているかすらわかりません。

母と、母の実母である祖母の3人暮らしでした。
父親という働き手がいない分、母はガッツリ仕事に出て、祖母に育てられたようなものです。

当時はまだ離婚者も少なく、特に田舎なんて目立つ存在だったようで…
「お父さんがいないせいで不良になったら困る」
と、必要以上に厳しく躾けられ、とにかく母・祖母ともに怖かったイメージしかありません。

家族に認められたくて頑張った幼少期~高校時代

そんな家庭環境だったためか、子どもの頃からとにかく母と祖母の顔色を窺って生きていました

母と祖母の自慢の子になるために、ひたすら勉強に打ち込みました。
井の中の蛙ですが、おかげで成績優秀。
学級委員長・生徒会執行部なるものを経験するようになります。
高校では部活にも力を入れ、弓道で県大会優勝を果たします。

お母さんが安心できるように、おばあちゃんが「自慢の孫」と気分よくいられるように…
そんな思いで必死に、真面目が一番と考えて生きていました。

抑圧された学生時代の癒しは漫画とアニメ

特に言われたわけではないものの、刷り込みのように”いい子”でいることは当たり前。
反抗期もなかった言いなりの学生時代、心の癒しは漫画とアニメでした。

抑圧された中学生は見事に厨二病を発症します。
そして案の定、腐女子となりました。

小学生で鈴木由美子の”オトナの漫画”を読みふけり、中学生でやおい本を読み漁る
瓶底メガネのガリ勉ヲタク。
痛々しくも、よくあるヲタクのレールに乗っかってしまいました。

潜在的に承認欲求が強かった理由

現実逃避と欲望のハケぐちは二次元、三次元では”成績優秀・真面目ないい子”であれ。
そうすればみんなに認めてもらえる。お母さんにもおばあちゃんにも…
承認欲求が異常に強かった子ども時代でした

高校生のある日、なぜそんなに承認欲求が強かったのか、答えに気付くことになります。
ささいなことで祖母と口論になり、思わず祖母が口走った言葉。
「あんたは本当にお父さんにそっくり!!」

私はお父さんを知りません。会ったこともありません。
正直、何がどう似ているのかも全くわかりません。

何それ。
似たくて似たんじゃないし、そもそも知らんがな( ;∀;)

あまり父のことを話したがらない母には気が引けて…
父について聞いたことはほとんどありませんでした。
それくらい父の話はタブー視された空気感でした。

自分の出自のタブーにふれる

でもさすがにこの時は聞いてみました。
すると母曰く、父の後先考えない性格や金遣いの荒さが原因で、かなり苦労した結果別れたのだとか。
私を母親のように育てながら、事あるごとに私に自分の娘(=母)を苦しめた元夫の姿を見い出し、苛立っていたようです。
「タケちゃんには言わないでって言ってたのにね…」

…今までも言ってたんかよ!!!!
この時、ハッとしました。
きっと私は祖母のそんな思いを本能レベルで感じ取り、潜在意識的に「認められたい」と思い続けていたのだと…
そのために頑張っていたんだと。

知りもしないのに似てるって、もう遺伝子レベルやん…と暗い気持ちになったのと同時に、「いい子でいなきゃ」と思い続けていた理由が何となくわかって、ストンと胸に落ちた出来事でした。

あっぱれ大学デビュー!奔放でハレンチな生活へ

箱入り娘でもないのに囲われた子ども時代を過ごす中で、一刻も早くこの家を離れたい!
田舎から出たい!という気持ちも湧いてきました。

田舎での厳しい親との生活から解き放たれた私が大学で得たのは、奔放な恋愛生活でした。
それまでにも彼氏はいたけども、やはり一人暮らしほど気ままな生活はありません。

僕には自由になれる所があるんだ。こんな嬉しいことはない!

そんな思いで奔放な恋愛生活の幕開けです。
なんと破廉恥な!

セカンドガールという生き方を知る

習い事のピアノも休むことしか考えなかったのに、なぜかノリで軽音サークルへ。
周りは関西弁ばかりで、岡山弁のタケコは気後れしてしまい、普通におしゃべりすらできない。
”岡山”というあだ名まで付き、失語症(ちょっと意味違うけど)になるのでは…と感じていました。

そんな時、サークルの先輩から甘い言葉で誘われセカンドガールに。
これがそれまでの真面目一徹な恋愛観を変えました。

本命なんて裏切られた時ツライだけ。
一番旨味があるのはセカンドガール。

これが持論、そして自分なりの処世術と思い込んだ頭の弱い10代後半。
大学時代に引き続き、社会人になっても奔放な恋愛生活を悪びれもせず謳歌することになります。

過去の古傷=腐女子が災いしてコスプレキャバクラへ

自由恋愛をしながら、過去の腐女子気質が災いしてコスキャババイトに勤しむ日々。
自分のパフォーマンスで客が来る。
今自分が求められている。
アホなこと言いますが、「まさに天職!」と感じていました。

こうして、ますますゲスさに磨きがかかります。。。

マスコミに憧れて飛び込んだ、社畜・ボロ雑巾の世界

そして冒頭のTV番組制作会社へ。
田舎者ならではの価値観ですが、マスコミほどキラキラした世界はないと思っていました
大真面目に。

遠く離れて暮らす母と祖母も、TVの仕事してたらエンドロールで名前出るし、きっと自慢できる子になるだろう…と、まだ意識していたところもあります。
さらに、顔も知らない父の目に留まるかもしれない…という想いもありました。

が、現実は本当にタダの社畜。ボロ雑巾。
ADすなわち”アシスタント奴隷”。Dすなわち”奴隷”

もちろん、やっていて良かったと思えることもたくさんありました。
なかなかできない経験、行きたくても行けない場所、普通は出会えない人々…
「人生とは弱肉強食」と学び、生きる強さを培いました。

ただそれと引き換えに代償が大きすぎる
時間を失い、人生を考える意識が欠け、金銭感覚が狂い、ただただ脂肪(+10kg超)を得ました。

番組制作会社の裏のしんどさ=“個性”の確立・PR力

AD・ディレクター業はキツイ激務で有名ですが、それだけでなく“自分”というキャラクターの濃さが必要でした
関係者・取材先に覚えてもらえるかどうか、愛される人間かどうかが、スムーズに仕事を遂行するためにとてつもなく必要だったのです。

なぜなら番組制作なんてエラそうに仕切っているけど、主に仕切ることだけが仕事。
実務・特に専門性が高くなればなるほど周囲の専門スタッフが行うため、人に頼らざるを得ない部分が圧倒的に多いのです。
この仕事ほど、周囲の協力を仰がないと何もできないと実感します。

そんな時に必要なのが、コミュニケーション力
そしてコミュニケーションを円滑に進めるために必要なのが、個性・キャラ

いかに人を動かせる人間かどうか、そこにポイント上乗せしてくれるのが、好かれる人間性=キャラでした。
人に好かれた方が圧倒的に強いのです。

そしてゲスになる

数少ない同期はすでにある意味キャラが濃く、到底敵わない。
自分はというと、多少ヲタクで腐女子で、下ネタが得意でセカンドガールで…それ以外は別に普通。

しかしこの業界、ヲタクは当たり前にいるのであまりキャラが立たず。
腐女子はキャラとして立たせるには微妙にいじりにくい…
こうして、打算的な考えから「下ネタが専売特許のゲス」が生み出されました。

アシスタント奴隷・奴隷と扱われる中で、承認欲求を満たそうと関係者と関係を持つこともしばしば。
仕事へのモチベーションを上げるため、1現場1ラバーの精神で、果ては番組プロデューサーとも関係していました。。。
(これはマジで墓場持ち越し必須の話…)

そして(番組ヒエラルキーの)テッペン取った!」と満足感を得ていました。。。

おそろしいことに未だマスゴミの洗脳から目覚めていません

「自分の人生、何が最も大事か?」を考えて、TV番組制作会社を辞めました。
2013年のことです。

しかしやっぱり未だに名残惜しいのか。
職を転々としながらも、まだマスゴミの中の仕事を続けています。

CM制作会社、広告代理店…
そしてまた今TVの仕事に戻っている現状です。

あの時よりはマシですが、まだ潜在意識でマスゴミ主義的な洗脳が残っているのか…
それならばそれで、この状況を最大限生かしたいと思っています。

さいごに

自分へのご褒美と称して堕落しきったニート時代、借金を作り債務整理を経て、今に至ります

もうこうなると、本当にゴミクズのゲス野郎です。
(このへんのお話はさらに長くなるので、別の機会にじっくりと…w)

そんな私でも今ではようやく落ち着き、一児の母となりました。
これまでと同じ感覚ではダメだと、一念発起でやり直し中です。

同じような方がもしいれば、そんな方の支えになりたい。
そんな気持ちで筆を執っているのであります。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします^^

タケコ
タケコ